明石の御方の大堰の邸宅とは 桓武天皇離宮跡

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物語の舞台
その鬼は夜毎、朱雀門に現れる…勅命を受け追捕に挑む、源氏の弓の名手。身を焦がすような恋に堕ちるとも知らずに…【電子書籍】

『源氏物語』では

源氏物語

18帖「松風まつかぜ」では、

明石あかし御方おんかたが、源氏との娘である幼い姫の将来を考えて、

明石の浦から最初に都に移り住んだのが、この大堰おおいの邸宅です。

19帖「薄雲うすぐも」では、

将来、帝の后となるため、

皇族の血を引く紫の上(源氏の正妻)の養女となった幼い娘•明石の姫君を手放し、悲しみに暮れる明石の御方が、

大堰川おおいがわ鵜飼うかいの篝火かがりびの情景と共に描かれています。

大堰の邸宅とは

案内板によると、

このあたりで桓武天皇かんむてんのう離宮りきゅう遺跡いせきが発掘されたそうです。

ここは、源氏物語の『松風まつかぜ』『薄雲うすぐも』に登場する

明石の御方あかしのおんかた大堰の邸おおいのやしきのモデルとされています。

風光明媚ふうこうめいびなこの地には、いにしえの貴族が別荘をたくさんかまえていました。

一説には、醍醐天皇だいごてんのうの第一皇子兼明親王かねあきらしんのう(中務卿の宮なかつかさきょうのみや)の別荘が

小倉山麓にあったので、そちらのモデルとも言われています。

明石の御方の母尼君の祖父は、その昔中務卿の宮なかつかさきょうのみやであり、

その方から受け継いだのが、この大堰の邸宅の設定となっています。

詳細事項

桓武天皇離宮跡かんむてんのうりきゅうあと(源氏物語ゆかりの地案内板)

所在地
〒616-8385京都市右京区嵯峨天龍寺房ノ馬場町33(「京都・嵐山ご清遊の宿らんざん」さんの塀に案内板があり)
アクセス
(電車)JR「嵯峨嵐山」駅から徒歩約15分、京福「嵐山」駅から徒歩約10分、阪急「嵐山」駅から徒歩約15分
(バス)市バス:11、93、28系統 京都バス:62、67、72、快72、92、94、快729、楽洛金閣寺・嵐山ライン「嵐電嵐山駅」下車、徒歩約10分
駐車場
なし。近くのコインパーキングをご利用ください。

位置情報

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KoGeTu

大阪府出身。卒業後、専攻の王朝文学から長らく遠ざかっていましたが、この度、学びなおしの機会を得て、あらためてその世界に魅了されています。ブログの運営とともに執筆活動も行っています。著作は、平安京を舞台にしたロマンス&サクセスストーリー『衛士の火は燃ゆ』(朱雀門編)があります。

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