9帖「葵」葵の上の出産と死去

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源氏物語』って長くて難しそうだけど、どんなお話?

ここでは、わかりやすく各帖にわけてあらすじをご案内しています。

『源氏物語』は54帖から成り「葵」はその9帖目のお話です。

「葵」の主な登場人物

源氏、葵の上、六条御息所、紫の上

「葵」のあらすじ

桐壺帝の譲位

源氏の父桐壺帝は譲位して桐壺院となり、院の御所で藤壺中宮と共に暮らしています。

代わって帝位についたのは、兄朱雀帝です。

朱雀帝の母皇太后は宮中に付きっきりで、後見の右大臣家の権勢は増すばかりでした。

帝が代わると、伊勢の斎宮いせのさいぐう賀茂の斎院かものさいいんが新たに選ばれます。

伊勢の斎宮には六条御息所の娘が選ばれ、潔斎が済むと伊勢へ下向します。

途絶えがちな源氏との関係に悩んでいた六条御息所は、娘に伴って伊勢への旅立ちを考えはじめていました。

御禊の日の車争い

賀茂の斎院には、桐壺院と皇太后(元の弘徽殿女御)の皇女三の宮が選ばれました。

今年の葵祭りは初斎院なので、いつにもましての盛儀です。

祭りの前の「御禊の日ごけいのひ」には、新斎院に供奉する参儀大将の源氏を一目見ようと、身分の上下に関わらず一条大路はすごい人出です。

葵の上も身重ながら夫の晴れ姿を見ようと、たくさんの従者を連れて出かけます。

六条御息所も、網代車で人目を忍んで行列を待ちわびます。

そこで見物の場所を争って、正妻葵の上の権威を振りかざす従者が、六条御息所の車を乱暴に押し退けてしまうのです。

世にいう「車争いくるまあらそい」です。

大臣家の血筋で前の東宮妃である誇り高い六条御息所は、この一件で自尊心を踏みにじられます。

そして葵の上への憎悪が、押さえきれなくなるのでした。

葵の上の出産と死去

臨月を迎えた葵の上は、どんなに加持祈祷をしても離れない、あるひとつの物の怪に苦しめられます。

出産間近に迫る葵の上を見舞った源氏は、物の怪の正体に六条御息所の姿を見てしまうのでした。

何とか男子を出産した葵の上ですが、秋の司召で源氏や父左大臣が宮中に出かけた夜、急変して亡くなってしまいます。

亡骸は鳥辺野に葬送され、桐壺院や藤壺中宮、東宮からも弔いが寄せられます。

娘に先立たれた左大臣と大宮は命も危ぶまれるほど悲しみ、源氏もお互いもっと早くに打ち解けられていたらと、悔やみきれません。

亡き葵の上と過ごした左大臣邸で喪に服す源氏は、義理の兄三位の中将との語らいや、朝顔の君からの弔いに心を慰めていました。

六条御息所からも弔いがありましたが、過日の物の怪の件を思うと、少し冷めた思いがします。

紫の上と新枕をかわす

七日七日の法事が過ぎ、間もなく四十九日を迎えます。

忘れ形見の若君がいるので、縁が切れるわけではないのですが、喪が明けて、やがて源氏がこの邸宅から遠ざかっていくことを思うと、左大臣や大宮、大勢の女房たちは、葵の上を亡くした以上にたまらない思いがします。

時雨の頃、桐壺院や中宮の元へ参院した後、源氏は久しぶりに二条院に姿を見せました。

しばらく見ないうちに大人びた紫の上に、感情を抑えられず新枕を交わします。

突然のことにすねた紫の上が、恥ずかしがっているので、さりげなく季節の亥の子餅に紛れさせて、三日夜の餅を側近の惟光に仕立てさせました。

三日夜の餅は、結婚三日目の夜に夫婦が互いに餅を食べる儀式です。

源氏はまだ喪が明けていないので、紫の上にだけ贈られました。

ようやく正式な婚姻が交わされたと、紫の上の乳母少納言は安堵の思いです。

この結婚を公なものとするため、近いうちに紫の上の御裳着を行い、父兵部卿の宮に知らせるのにもいい機会だと、源氏は考えました。

御裳着ははじめて裳を付ける儀式で、当時の女子の成人式です。

この儀式の行われた後の結婚が通常なので、今回の婚礼は逆でした。

このことが後々紫の上の負い目ともなります。

(参考文献)阿部秋生,秋山虔,今井源衛,鈴木日出夫.『源氏物語』①~④.小学館.2006.新編日本古典文学全集20~23
KoGeTu

大阪市生まれ。大学卒業後、旅行会社の添乗員として訪れた旅先で、古典の舞台に思いを馳せる内に、あらためてその世界に魅了されました。ブログ運営と共に、執筆活動も行っています。著作は、平安時代の検非違使の活躍を描いた小説『衛士の火は燃ゆ』(朱雀門編)があります。

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あらすじ源氏物語