22帖「玉鬘」夕顔の忘れ形見

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源氏物語』って長くて難しそうだけど、どんなお話?

ここでは、わかりやすく各帖にわけてあらすじをご案内しています。

『源氏物語』は54帖から成り「玉鬘」はその22帖目のお話です。

「玉鬘」の登場人物

源氏、玉鬘、乳母、豊後介、右近

「玉鬘」のあらすじ

筑紫に下ってからの日々

幼くして西ノ京の乳母に預けられた玉鬘は、母夕顔の行方がわからず、父頭中将に知らせようにも、継母の元でどんな扱いを受けるか案じられました。

仕方なく乳母は、夫が太宰の少弐として筑紫に赴任する際、玉鬘も共に連れて行ったのです。

その後筑紫で夫少弐は、美しく成長した玉鬘を都の父頭中将に会わせるまで、地元で縁づける事の無いよう、遺言して亡くなってしまいます。

清貧な役人だったので蓄財もそれほどなく、すぐに都に上れず、筑紫から肥前に移住します。

すると、地元で幅を利かせる肥後の大夫監が、美しい玉鬘の噂を聞きつけしつこく求婚してきます。

何とか父の遺言を守ろうと、乳母の長男豊後介は、早急に都に戻る決意をします。

今にも大夫監が追って来そうなので、豊後介は妻子を残し、母乳母と妹兵部の君と共に、急ぎ舟で旅立つのでした。

初瀬詣で右近との再会

危険な舟旅を経て無事に京にたどり着いたものの、筑紫に下って長い年月が過ぎ、これと言った拠り所もありません。

かろうじて都の外れ、九条の知り合いに身を寄せて、まずは石清水八幡宮に御願ほどきに出かけます。

出立前に同じ神様を奉る筑紫の筥崎宮と肥前の鏡神社に、旅の安全を祈願していました。

さらに豊後介は、霊験あらたかと名高い初瀬詣ではせでらもうでも提案し、玉鬘も慣れない徒歩で向かいます。

玉鬘一行は、初瀬詣ででは必ずといっていい程立ち寄る椿市で休憩します。

初瀬寺まで、もうあと一息の場所です。

そこで偶然相部屋になったのが、母夕顔の侍女右近でした。

これまでのお互いのいきさつを語り合い、夕顔がもうこの世にいないことも伝えられます。

美しく成長した玉鬘が、都でもひけをとらぬ程の才覚も身につけており、それを確認した右近は、改めて乳母に感謝するのでした。

共に初瀬詣でをし、都での再会を約束します。

六条院に迎えられる

右近は夕顔亡き後、源氏に引き取られ、紫の上付きの女房として仕えています。

早速、源氏に玉鬘のことを伝えると、六条院の東北の夏の町、西の対に迎えられることとなりました。

あの忠義者の豊後介も、家司に取り立てられました。

夏の町の主人、花散里をお世話役とします。

おだやかな人柄の花散里は、元服後の夕霧の母親代わりも任されました。

今では夕霧も、中将に昇進しています。

紫の上には、玉鬘が内大臣(源氏の義兄)の娘である、という真実は打ち明けていますが、それ以外には、源氏の実の娘という体裁にしています。

しばらく実父内大臣に知らせず、玉鬘目当てに貴公子達がやきもきする様子を楽しむつもりです。

実直な夕霧は他人とは知らず、実の姉として敬うのでした。

正月の衣装を贈る

年の暮れ、染色にも通じた紫の上を中心に、源氏の妻妾に贈る正月の衣装選びです。

源氏が選ぶ装束の色目で、他の妻妾がどんな女性なのか推し量ろうと、紫の上は真剣な面持ちです。

衣装を届けた使者に渡す禄(祝儀)が、各方々から届けられますが、二条院の東院の末摘花からは、奇抜な衣装に返歌が添えられています。

きてみればうらみられけり唐衣かへしやりてん袖をぬらして

(着てみるとついうらめしくなるので、この着物は私の涙で濡らして返してしまいたいのです)

「からころも」などの典型的な歌語と「着る」「うら(裏)み」「かえし」「袖」といった縁語、掛詞を多様しています。

父である故常陸宮から、末摘花が伝授されたという歌学書に話が及び、歌学書をお手本にすると、どうしても形式ばった詠みぶりになると、源氏は歌学についての独自の考えを、紫の上に語るのでした。

(参考文献)阿部秋生,秋山虔,今井源衛,鈴木日出夫.『源氏物語』①~④.小学館.2006.新編日本古典文学全集20~23
KoGeTu

大阪市生まれ。大学卒業後、旅行会社の添乗員として訪れた旅先で、古典の舞台に思いを馳せる内に、あらためてその世界に魅了されました。ブログ運営と共に、執筆活動も行っています。著作は、平安時代の検非違使の活躍を描いた小説『衛士の火は燃ゆ』(朱雀門編)があります。

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