『源氏物語』では
『源氏物語』
9帖「葵」では、
「葵祭」の前に行われる「御禊の日」に、新斎院の一行に供奉する源氏を一目見ようと、
正妻・葵の上と六条御息所の従者の間で場所争いが起こります。
世に言う「車争い」が描かれています。
12帖「須磨」では、
父・桐壺帝亡き後、右大臣家の権勢が強まる中、官位をはく奪された源氏が、
自ら京を離れ、須磨へ退去する前に下賀茂神社の瑞垣の側を通りかかります。
そこで、従者の前右近将監が、かつて新斎院の「御禊の日」に、
源氏の随身として従った栄光を懐かしむのでした。
「葵祭」とは
有名な「葵祭」は斎院(斎王)が、上賀茂神社と下賀茂神社に奉仕する大祭です。
それぞれ牛車や冠に二葉の葵をかざすので「葵祭」と呼ばれるようになりました。
当時は毎年、四月の中の酉の日に行われました。
下賀茂神社のご祭神は、賀茂建角身命と玉依媛命です。
賀茂建角身命は、
初代神武天皇が大和の橿原に都を造営する際に、道案内した頭八咫烏の子孫とも伝えられ、その子孫は葛野主殿県主部となります。
葛野は今の京都、主殿とは天皇の輿のお供や宮殿の清掃、暖房や灯火のお世話をする職種です。
山城国の鴨氏は主殿を世襲する氏族なので、この葛野主殿県主部ではないかと考えられています。
玉依姫命は賀茂建角身命の娘です。
賀茂川の河原で川遊びをしていると、丹塗り矢が流れてきて、その矢を持ち帰って枕元に置いて眠ると、翌朝身ごもっていました。
この時、お生まれになったのが上賀茂神社のご祭神賀茂別雷命と言われています。
下賀茂神社の境内を流れる瀬見の小川は、賀茂川の一部です。
「御禊の日」とは
「葵祭」の三日前は「御禊の日」と言って、
当時の斎院は、例年は、斎院の御所である紫野の斎院を出て、
一条大路を通り、賀茂川の河原で禊をすませて、再び紫野の斎院へ戻ります。
(現在は、上賀茂神社と下賀茂神社の御手洗川で毎年交互に禊をします。)
この時は、光源氏のような公卿クラスは供奉せず、左右衛門府や兵衛府の佐、尉といった五位以下の中下級官人の前駆がメインとなります。
『源氏物語』における「車争い」が起きたのは、新斎院の「葵祭」の「御禊の日」の設定です。
新斎院とは、初めて斎院に卜定された未婚の皇女または女王のことです。
宮中の初斎院を出た新斎院は、一条大路を通り、賀茂川で禊を済ませた後、はじめて斎宮の御所である紫野の斎院に入ります。
その時の一行には、大臣や参議といった公卿に、随身たちも大勢従いました。
「車争い」の舞台となる「御禊の日」、
光源氏は参議大将として、前右近将監は源氏の随身として、新斎院の一行に供奉していました。
詳細事項
賀茂御祖神社(下鴨神社)
所在地 |
〒606-0807京都市左京区下鴨泉川町59 |
電話番号 |
075-781-0010 |
公式URL |
https://www.shimogamo-jinja.or.jp/ |
参拝時間 |
開門6:00~閉門17:00(神事等により変更の場合あり) |
参拝料金 |
「大炊殿」特別拝観:初穂料500円(中学生以下無料) |
アクセス |
(電車)京阪「出町柳」駅下車、徒歩約12分 (バス)市バス:1、4、205系統「下鴨神社前」もしくは「糺の森前」下車すぐ |
駐車場 |
神社の西側「西駐車場」30分毎200円(正月、みたらし祭り、五山の送り火等は1時間600円以降30分毎200円) |